僕の中には2人の自分がいる。
「買い物が楽しい自分」と「コストパフォーマンスを計算して最適な行動をとる自分」。
僕は長い間、後者だった。買い物とは、本当に必要なものを出来るだけ安く入手する行為に過ぎなかった。
それがいつしか店舗での買い物やAmazonでポチポチする快感を覚え、反面、必然的に発生する対価との間に起こる葛藤に苦しみを感じだした。
買い物中の葛藤
僕は家計管理という分野の計算には非常に長けている。それゆえ「今この買い物は食費なのか、交際費なのか、どのカテゴリに属すのか」、「今そのカテゴリの支出はターゲットを下回っているのか、足が出ているのか、そのギャップは大体何%くらいなのか」、、、などが買い物の最中に頭をよぎる。大体買い物の途中には、目の前の商品ではなく数字が頭の中を駆け巡っているのだ。
そこに必要性や有用性、緊急性まで絡んでくるから、もう脳みそフル回転である。
こんな状態だから、買い物中に葛藤し、苦しいのだ。
考えなければ幸せなのに
最近僕はよく思う。
『考えなければ幸せなのに』
何も考えずに買い物を出来たら、お金を払えたら、どれだけ楽だろう。
「テレビ見るのに大きいソファがほしいね」っていう投げかけに「どこに置くの?どれくらいの頻度で座るかな?」と答えずに、「そうだね!買おうか!」と言えればどれだけ楽だろう。
「10インチのタブレットがほしいな」っていう投げかけに「何に使うつもりなの?仕事?エクセル仕事がメインなら間違いなく使えないよ?」と答えずに、「いいね!買いなよ!」と言えればどれだけ楽だろう。
でも世の中の思考なき買い物の裏には、『買ったけど、あんまり使わなかったなー』ってものが溢れてるんじゃないかと思う。まあ実際そのおかげで経済の幾分かは回っているという実態もあるんだろうけど。
買い物ってお金を使って幸せを得るものだから、本当は楽しくないといけないんだよね。
よし!じゃあ本当に欲しいものにお金を使おう!そうやって幸せになろう!
・・・そんなことを考えながら、僕は半年前からずっと「ほしいものリスト」に入っていた、2冊でたった1,500円程度の本を、買おうと決めてからさらに20分も逡巡したのちにポチるのであった。