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「俺は灘校生だった」が持つ学歴以上の大きな意味

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「俺は灘校生だった」が持つ学歴以上の大きな意味

2017年度の東大合格者数ランキングが発表になりました。

灘高校は開成高校に次ぐ第2位・・・って、毎年なんだかなあって思います。

開成高校は生徒数が灘の2倍くらい違うじゃん!割合で見ろよ!と。

さて、今日はそんな結果を出してるものの、あまり知られていない灘校生の話。

ああ灘校生の記事

すっごく共感できる記事を見つけたよ。

読み切りノンフィクション ああ、灘高日本で一番勉強ができた子たちの「その後」() | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

2010年の記事なんだけど、内容自体はほぼ僕の感覚とドンピシャ一致。

ああそうだった、そんな感じだったと、25年前を思い出したよ。

天才と言い合う灘校生

上の記事で、「灘校生はお互いに天才と呼び合う」って書いてあるよね。

これまさにその通り。やっちゃってたわー。

数年前、会社の後輩と灘の同級生の3人で一緒に飲んでる時の話。

後輩そっちのけで「いやー、お前は天才やからなー」、「お前こそー」みたいな話になっちゃって、後輩から「お互いで褒め合いまくりですね」と冷静に突っ込まれたのを思い出して、今から思うと顔から火が出るくらい恥ずかしい(笑)

でもある意味お互いをリスペクトしあい、それを純粋に口に出せるなんて素晴らしい!とも思っちゃうよね。

いいじゃん、褒め合ったって。けなし合ってるよりよっぽどいいよ。こんな友達関係、なかなかないよね(笑)

他人は他人、オレはオレ

えー、こんなの、普通高校生なんて大抵こんなもんじゃないの?

と思うものの、確かに他の人が何をしてても不干渉なところはあったかもしれない。

僕のストレングスファインダーの弱みは下の5つなんだけれども、
30位:共感性
31位:慎重さ
32位:適応性
33位:調和性
34位:回復志向

この中で共感性(他人の感情を理解する能力)や調和性(他人の意見に合わせ、最適な終着点に持っていく能力)が低く出ているのは、まさに「オレはオレ」ということなのかもしれないね。

まあさすがに20年近く社会人やってるから、もうそこまで調和性が無いってことはない…と思うんだけど(笑)

灘校生であったことに誇りを持っている

ただ一つだけ確かなことがある。

すべての灘高卒業生は、その後の成功不成功にかかわらず、

「俺は灘校生だった」

 という思い出を、心のどこかに大切に抱いて生きている。

…この最後の締めくくりの言葉にドキッとする。

この感情描写、間違いないなあ。まるで心の中をのぞかれているような感覚。なにこれ、こわい(笑)

まとめ

昔は昔、今は今。

なので学歴に強くこだわっているわけではないけど、今の僕を形作ってきた原点は間違いなくここにある。

大人になってから、会社でいくつもの難しい問題にぶつかることは多々ある。

でも僕はそれを乗り越えられるという根拠のない自信があるのである。

「なぜなら僕は灘校生だったから。」

言葉を補足すると、「なぜなら僕は灘校生になれるくらいの努力を出来る人間だから。」

対象が勉強だろうが、仕事だろうが、同じこと。

努力が全ての源。

それを証明してくれる「僕は灘校生だった」という事実。

僕は一生この思いを胸に抱き、誇りに思いながら生きていくんだろうな。




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