最近の小学校って宿題多くない?
毎日毎日、計算ドリルと漢字ドリルと日記。
まあ大人から見たら、この程度の宿題なんて10分くらいでチャッチャとやっちゃえばいいじゃんと思うが、当の本人からすればそう簡単なことではない模様・・・
宿題の状況
宿題をしてる時の次男の顔は本当に嫌そうで辛そうで、1時間以上かかって5問くらいしか進まない。最後の方とか、疲労でふにゃふにゃになってて、全く何言っても頭に入っていない様子。
1時間経っても全く進んでない様子を見て、僕たちも若干イライラしちゃって、悪循環。
次男も勉強に苦手意識が出来ちゃうし、出来ないって言うと自己肯定感低くなっちゃうし、次男にこんな思いをさせるくらいなら宿題なんかさせなくてもいいんじゃないかって本気で思ってしまう。
宿題の意義
そもそも宿題の存在意義は何なのか。
結局今やってることって漢字を書き写せばいいとか、計算を何問かこなせばいいレベル。
なんで一人一人理解度が違うのに、みんなに画一的に同じことをやらせてるのか。
これやったらなんかいいことあるの?
いい中学校に行けて、いい高校に行けて、いい大学に行けて、いい会社に入れる?これからの時代、本当にそうなるのかしら。
次男は頭を使うことを嫌いなわけではない
次男はニンテンドースイッチのゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの難しい謎解きなんかは、活き活きとした顔でやってるんだよね。めっちゃ分厚い攻略本を「辞書」って呼んで何か詰まることがあったら一生懸命調べて付箋まで付けてるくらい本気でやってる。
ベイブレードも全ての部品の重さを計って、重い順に組み合わせたら最強なんじゃないか?の仮説のもと、何度も実験を行っている。
反面、宿題をしてる時の顔は本当に嫌そうで辛そうで、この世の終わりかって顔をしてる。
ほんとこの時間、時間の無駄、人生の無駄づかいだよね。
でも勉強が大嫌いというわけでもなく、授業でやってる百人一首とかはめっちゃ覚えて、「やっぱ百人一首って面白いなー」って言ってるわけ。クラスで1番とか取ってきて、こないだも学校外の百人一首大会に参加してきたのだ。
要は鉛筆を持ってカリカリ同じ問題を解くのがダメっぽい。
ふと思う
もう宿題なんかやらなくていいよ。
それよりも、もっともっと好きな事を全力でやった方がスクスク、イキイキ成長するんじゃない?
あれ?そもそも宿題ってなんでやらないといけないんだっけ?
そんなこと思い出したらいてもたってもいられなくなって、こないだ連絡帳に「宿題させなくてもいいですか?」って書いちゃったよ。
先生も「まあそれでもいいです、様子見ましょう」と。めっちゃいい先生やー!
もうね、僕はしょうもない日本の教育制度になんか乗らなくてもいいと思ってるのだ。
僕自身は受験制度の先頭を常に走り続けてきたような学生生活だったけど、学生時代に学んだ日本史も、世界史も、物理も、化学も、生物も、地学も、古文も、漢文も、確率も、N次関数も、サインもコサインも、一回たりとも卒業して働きだしてから使ったことない!ほんとに必要なのは英語くらいよ。
そんな状況なのに、これらが満遍なく出来ないと優秀とは認められない学生たちを見るにつけ、日本の教育ってやっぱどこか歪んでるよなあと思う。
うん、やっぱ勉強なんてやんなくてもいいかも。
まとめ
「宿題やる奴はバカだ」とまでは言わないけど、別に出来なくてもいいんだよ、と思う。
よく「宿題やりなさい!」とか「なんで出来ないの!」って怒る親もいるけど、怒ったらほんと逆効果だし。
僕が勉強できたのはそれが楽しかったから。怒られるならやらなかったよね、きっと。
だから僕は宿題をやらない次男を、しょうもない日本教育の荒波から全力で守ってあげようと思う。
その代わり好きな事は思いっきりやって、将来は『仕事もプライベートもガッツリ楽しんでる』とか『周りのみんなが笑顔で支えてくれる』とかそんな人になってほしいな。