小学校の頃だったか、じいちゃんが僕にこんな話をしてくれたのよ。
大学生の時のテストの話
じいちゃんの大学時代のテストの話。
じいちゃんは何百ページもある教科書を頭からコツコツと勉強してたんだって。
でも最後の最後、ここまでやったんだからもういいだろうと気を抜いてしまって、後ろ2ページを残してテストに臨んだらしい。
そしたらなんと最後2ページから出るという、超お約束な展開!!!
「なんであの時、最後2ページやらんかったんやろなあ」て僕の前でもつぶやいてた。
もうじいちゃんめちゃめちゃ後悔したんだろうなー。
だって僕が小学生ってことはじいちゃんは70歳くらいだったわけで、50年くらいその話を忘れられなかったってことだもんね。
僕の知ってるじいちゃんはほんと努力家で完璧主義で、そんなじいちゃんから聞いた唯一の失敗談を、なぜだか分かんないけど何十年もたった今でも覚えてる。
「言葉」の持つ力
なぜか大人になっても忘れない言葉ってあるよね。ほんとこの話、僕の中ではじいちゃんが悔しそうに話してる言葉のトーンまで頭で再現される感じ。
勉強がどうとか、テストがどうとかは子供だったから全然分かんなかったけど、子供心に「ああ、物事って最後までやり切らないと大変なことになるんだな」っていうことは刻まれたんだろうね。
いつの間にやら、やり出したら最後までコツコツ、トコトンやってしまう性格に。「これが今の僕を形作った要素の1つなのかもしれないな」とこの文章を書きながらふと思ったよ。
DNAだけじゃない遺伝
僕がこんな性格になったのは遺伝じゃないの?って言ってた人もいたなあ。
確かにじいちゃんもコツコツ型だったし、遺伝って要素も十分あると思う。
でも遺伝ってDNAだけで決まるんじゃなくて、こうした会話による思考の伝達でも伝わっていくんだなと感じてる。
だってじいちゃんがチャランポランで、さっきの大学のテストの話も、
「どうせテスト解けないんだったら、勉強しなかったらよかったわー」
とか
「コツコツ勉強してもこういうことがあるから意味ないで」
っていう結論に持っていってたら、僕はこういう性格になっていなかっただろうから。
ちゃんとじいちゃんの考え方は言葉でも『遺(のこ)』せて、『伝』えられてますよ。
妻と僕は息子たちに、大きくなってもずっと心の片隅に残るような話が出来ているのかなあ…
まあ、まずは子供たちの見本になるように、僕たち自身が人生を楽しむことからだね!
…天国のじいちゃん、ぼくは元気にやっていますよ。